寝起きでボケッとしてますが。続きます。
「自分が何者か」なんて、自分の名前と「親(産みの親に
限りません)」が分かっていれば十分じゃないかなって思います。
それ以上に自分を意味づけようとしても、それって逆に
自分を型枠に押し込めてしまうだけなんじゃないかなって。
逆にいえば、もしかしたら「自分探し」って、そういう
ガッチリした「型枠」が欲しいことなのかもしれません。
でも自分って、どのようにも変われるんですよね。
命の前の平等というか、自由というか。
それなのに、「自分らしさ」なんて言葉で自分の限界を
決め付けるのはもったいないなくないですか?
せっかく、そういう小難しいことも考えられるほどに
余裕のある人生を送れているのですから、型枠を作らないで、
ゆっくり背伸びをするように、自分を伸ばした方が
楽しいと思います。
2008年6月22日日曜日
アイデンティティー続き
登録:
コメントの投稿 (Atom)
2 件のコメント:
自分が何者か・・・
karanivさんよりずっとずっと長く生きていますが、一度も考えたことありません。
頭のいい人っていろいろ考えるのね~。
私はオバカさんなので、あまり考えません。
脳みそがちっこいから、考えなくてはいけないこと以外のことを考えていたら、大切なこと忘れちゃうから。
大切なことって・・・それもkaranivさんにとっては多分たいしたことなくて、今やらなきゃならないこと。
「足の爪を切らなきゃ」「とかトイレットペーパーがなくなりそうだから買い置きしていかなきゃ」とか。
生まれてきたから生きている。
生きるからには楽しく生きる。
それだけじゃ駄目かな?
何者って・・・。
自分は自分でしかないし、自分の中で一番大切な人間です。
そして今、一番考えなければならないことは?と聞かれたら
お風呂場のアリ駆除です(^_^;
コメントありがとうございます。
生まれてきたから生きている。
生きるからには楽しく生きる。
今考えれば、それが正解なんだと思います。
頭がいいのかどうかは分かりませんが、私にはそれを考えることが必要だっただけです。幼いながらに。
とりあえず今の私が考えなくちゃいけないのは・・・
床屋に行くことです(笑)
コメントを投稿